あの戦国武将は男?女?お休みをとっていた理由とは!?

勘の良い人ならすぐに誰のことなのか分かるでしょう。

女性説もある上杉謙信の話です。

たぶん男性で間違いないと思いますが。

そもそも、なぜ女性説が浮上出てきたのでしょうか?

上杉謙信の死因については、下記の見解が強いようです。

過度の飲酒や食生活(塩分の摂り過ぎなど)による高血圧が原因の脳血管障害とみられ定説となっている。謙信の史料を見た医師たちの所見も、「高血圧症、糖尿病、アルコール依存症、躁鬱気質」だったとする見解が多い。または、胃癌もしくは食道癌と脳卒中が併発したとする説もある。

上杉謙信 – Wikipedia

かなり暴飲暴食してたのでしょう。豪傑ぶりが伺えます。

こんな女性が戦国時代にいたとは考えにくいですよね(笑)

もし月経による腹痛でたびたび休んでたら、戦にもならなかったのでは。

昭和43年に小説家「八切止夫」が提唱。

上杉謙信女性説を唱えた八切止夫(やぎりとめお)という小説家は、

どのような人だったのでしょうか?

本名は矢留 節夫(やどめ せつお)。

経歴には不明な点が多く、出身地には名古屋市という説と横浜市という説の両方がある。

旧制愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)を経て、日本大学専門部文学科で伊藤整に師事。

1931年に同校を卒業した後、当時日本の委任統治領だったヤップ島に渡り、先住民相手に雑貨商を経営。

耶止説夫の筆名で紀行文『南方風物誌』や小説『青春赤道祭』など南方海洋文学を『新青年』誌上に発表するも、大本営により執筆禁止処分を受ける。

帰国後、東京市本郷区白山上で既製服店を経営。

しかし商売に行き詰まり、太平洋戦争中は満州に渡って大東亜出版という零細出版社を経営。

敗戦時、親交のあった関東軍将校と共に自決を図ったが、相手の将校が怯んだために未遂に終わった。

「八切止夫」の筆名はこの経験によるもので、「腹切(=ハラ(チ)キリ)を止めた男(=止夫)」という意味であるという。

敗戦に伴って満州から引き揚げ、雑誌『生活クラブ』を発行し、自ら複数の筆名で同誌に執筆するも3号で廃刊となる。

その後、消火器会社を設立して家庭用の小型消火器を製造販売したが、『暮しの手帖』が石油ストーブによる失火には消火器より放水が最も有効との実験結果を発表したため、大量の消火器の返品を受けて倒産となる。

日本大学芸術科講師、明治大学助教授を経て、昭和39年(1964年)に発表した短編『寸法武者』が第3回小説現代新人賞を受賞し文筆生活に入る。

奇矯な性格から晩年は出版界から敬遠され、みずから日本シェル出版という出版社を設立して『八切止夫自由全集』を刊行した。

同社の本の奥付には「本は読んでもらうためであり金ではない」とあり、送料さえ払えば5万円分の歴史関連の著書を贈呈すると書かれていた。

「伝説のカレー店」として人気を博している神楽坂の老舗喫茶「トレド」の店長・矢留楯夫は実子である。

八切止夫 – Wikipediaより引用)
 

小説家としての八切止夫は、 異質な方だったようですね。

他にも大胆な仮説・異説を数々唱えたようです。

戦争を経験してることもありますが、かなり苦難の人生だったのではないかと想像します。

「トレド」ってカレー店に行ってみたくなりますね(^^♪

ちなみに場所は東京理科大神楽坂キャンパスのすぐ傍なんです。

女性説を提唱した根拠は?

何か根拠があったはずなんですよね。

ゴンザレス報告書

スペインのゴンザレスという人物が、日本についての調査報告書を国王フェリペ2世宛てに送った。トレドの僧院にはその報告書が残されており、その中の「黄金情報」というとじこみに「アイドのウエスゲはそのTIAの開発したサドの純金を沢山もっている」(「会津の上杉はその叔母(tia)が佐渡を開発して得た黄金をたくさん持っている)とあったという。この「叔母」は謙信のことであるとしている。

謙信と婦人病

  • 謙信の死因は「大虫」である。松平忠明が記したとされる『当代記』の天正六年条には『此の春越後景虎卒去(年四十九)大虫と云々』と記載されている。八切は「大虫」について以下のように解説している。
    • 三省堂明解古語辞典によると「大虫」は味噌の女言葉である。味噌は赤味噌を連想させ、月経の隠語として用いられた(逆に、月経の赤色のイメージから、赤味噌のことを隠語で「大虫」とも言う。「式亭三馬の浮世床にも『おめえんちの雑煮は大虫かい』と聞く表現がある」と八切は記している)。
    • ただし、八切は別の著書で「大虫」が月経そのものを指す言葉と解釈している。

上杉謙信女性説-Wikipediaより。

簡単にまとめると、

ゴンザレスが国王に送った手紙に上杉の叔母のことが書かれていた。👈事実?

その叔母を謙信のことにした。👈八切の仮説

上杉謙信の死因は大虫である。👈仮説?

大虫は婦人病または月経の事とした。👈八切の仮説

いったい「大虫」って何なんでしょう(;^ω^)

「大虫」で検索すると、大虫神社というのが出てきます。

この神社の歴史は、戦国時代よりもずっと昔にさかのぼります。

社伝によれば、崇神天皇7年、南越地方を平定・開拓した天津日高彦火火出見命の霊を鬼ヶ嶽の山頂に祀ったのに始まると伝える。垂仁天皇の時代にイナゴが大発生したが、当社に祈願した所たちまちイナゴは退散した。天皇はこれを喜び、当社を大虫神社と称し、山頂から現在地に遷座したという。

天正4年(1576年)、柴田勝家によって社殿が焼かれたが、神体・神宝は鬼ヶ嶽山頂に移され無事であった。その後、豊臣秀吉によって再建された。天正11年(1583年)、式内社の小虫神社・雨夜神社・雷神社を当社に合祀した。ただし、後二者については比定社がほかにもある。

大虫神社(越前市) – Wikipediaより

つまり、婦人病とは全く関係ない神社であることが分かります。

ちなみに京都府にある、大虫神社(与謝野町)-Wikipediaも婦人病とは関係なさそうです。

まとめ

上杉謙信女性説のおかげで、今まで知らなかったことを知るきっかけになりました。

逸話も捨てたもんじゃないですよね!

 

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