本能寺の変、本圀寺の変、島原の乱など、「変」と「乱」の違いはいったい何なのか?
目次
2020年1月19日より、NHKの 大河ドラマ『麒麟がくる』が始まりましたね。
「本能寺の変」を起こした明智光秀を通して描かれる戦国絵巻。
そういえば、変と乱って何が違うの?
歴史が苦手なので、
勉強を兼ねてこの記事を書いてみました。
変と乱の違い
「変」と「乱」の違いをGoogle先生に尋ねたところ、
「乱」は、天皇・朝廷など、その時の政権に対する大規模な反乱を起こしたが、
権力者によって鎮圧された戦い。
「変」は、政治変革の陰謀事件など、
政権担当者が倒され政治的な変革を伴った戦いとされています。
さすが先生!
分かりやすいですね(^_-)-☆
島原の乱は確かに鎮圧されてるけれど、それだけじゃない!?
乱で私が真っ先に思いつくのは「島原の乱」。
最大規模の百姓一揆。
しょせん九州の田舎で起きた内乱なので、
「時代を変える」「国を動かす」ような変革はなかったことでしょう。
ところが!
下記の島原の乱-Wikipediaより引用した部分を読んでみてください。
一番下の方に、
「宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている」と書いてあります。
さもすれば、鎖国の要因となったともとれますよね。
島原の乱(しまばらのらん)は、 江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆であり、 幕末以前では最後の本格的な内戦である。 島原・天草の乱、島原・天草一揆[1]とも呼ばれる。 寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結とされている。 従来、信仰的側面は表面上のもので、あくまで厳しい収奪に反発した一揆であるというのが定説であったが、 事態の推移から、単なる一揆とする見方では説明がつかず、 宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている。 鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。 |
とはいうものの、政権担当者が倒されたわけでもなく一揆は鎮圧されたので、
乱ですよ、「乱」。
ちなみに島原藩主の松倉勝家は、
領民の生活が成り立たないほどの過酷な年貢の取り立てによって一揆を招いたとして責任を問われて改易処分となり、
後に斬首となったそうです。
本圀寺の変はなぜ「変」なの?
本圀寺の変(ほんこくじのへん)は、
永禄12年1月5日(1569年1月31日)に三好三人衆らが、
京都本圀寺に仮御所を置いていた室町幕府15代将軍足利義昭を襲撃したことによって生じた戦闘である。
六条合戦とも呼ばれる。
簡単に言いますと、
織田信長が奉っていた将軍「足利義昭」を、三好三人衆が信長がいない隙を突いて襲撃した事件。
ですが失敗に終わってます。
足利・織田方の勝利。
このときの政権担当者は第15代将軍足利義昭。
もちろん倒されてないし、政治的な変革を伴ったかと言われれば微妙。
明らかに失敗してるので「乱」じゃないの~?
と思うのですが・・・。
ちなみに足利義昭は1588年まで将軍でしたが、
1573年に信長によって京都から追放されたところが室町幕府の滅亡と一般的にいわれてるそうです。
知らなんだ(*´▽`*)
まとめ
変と乱の違いは正確には結論が出てないような気がします。
政権担当者に鎮圧されたら「乱」なのはよいとして、
「変」には疑問が残りました。
それより三好三人衆が気になります。
信長の野望でプレイしてみたくなってきましたよ(^_-)-☆