西鉄大川線はなぜ無くなったのか?

かつて、大善寺駅から終点の大川駅へ繋がる「西鉄大川線」が存在しました。

最近初めてそのことを知ったので、もうちょい掘り下げていきたいと思い、

この記事を書くことにしました。

ブログをやってると知識が増えるので、本当に良いことばかりです。

(いまのところ。)

 

ちなみに、「西鉄大川線はなぜ無くなったのか?」というタイトルにはボケが入ってるつもりです。

このようなタイトルにすれば、閲覧して頂けるのかなと。

あたりまえなんですが、

廃止されたのは利用者が少なすぎたからですよね。

1950年には、年間2000万円の大赤字を出していたそうです。

大川鉄道の開業目的は、

旅客と城島町で生産される酒や、

大川市で生産される家具や畳表などの貨物輸送だったそうです。

予想よりも需要が無かったってことでしょうかね・・・。

 

大川線への分岐駅「大善寺駅」は福岡駅よりも歴史あり!?

 

大善寺駅といえば、特急も停まる全列車停車駅。

なんでこんな田舎(失礼)に特急が停まるんだろう?

そんなことを思いながら大善寺駅のことを調べてると、なんとなく納得できました。

というのは、大川線の分岐駅であったのもあるのですが、

福岡駅よりも古い歴史があるんです。

大善寺駅の開業は1912年12月30日。大正元年。(当時は大川鉄道の駅)

福岡駅の開業は、1924年4月12日で大正13年なので、

大善寺の方が13年以上も昔に開業してるんですね。

地味に凄い!

西鉄大川線の廃線跡はここだ!

 

旧三潴町内の早津崎駅跡付近にある早津崎交差点から、

旧城島町中心部の城島新町駅跡付近までの間の区間は遊歩道として整備されており、

敷石が線路のような模様に敷かれている。

その先はほとんど道路の一部となっているが、

福岡県道47号久留米城島大川線の新橋水門(大川市向島)付近に当時の橋脚が4本残っている。

(Wikipediaより)

西鉄大川線の遺構を実際に観てきたよ!

 

草木で覆われていて気付かなかったのですが、この中に遺構が残っておりました!

茂みの中をよーくみると、今でもコンクリートの橋脚のようなものが数本残ってます。(この画像じゃわかりませんよね。)

茂みの中に西鉄大川線のコンクリートの橋脚がある

コンクリートの橋脚の終わり部分に遺構らしきレンガ発見。レンガとレンガの間隔は2mぐらい。この間を列車が通ってたということは、小さな列車だったんですね。

レンガの遺構

大切な遺構なのにロープやパレットなどのゴミが散乱(*´Д`)

西鉄大川線レンガの遺構

ここも列車が渡っていたはずなんですが、遺構らしきものはありません👇

筑後川と支流

久留米市中心部付近の筑後川と比べると、ぜんぜん雰囲気が違いますね(^^♪

筑後川と漁船

👇一冊で鉄道路線(廃線を含む)を確認できます!やや文字が小さいのがネックですが、重宝しますよ~。

まとめ

 

もし西鉄大川線が残ってたら、

現在の大川市もずいぶん違ってたかもしれませんね!

時代の流れなので仕方ないか(;^ω^)

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