4都市に残る「疎開道路」。その跡は福岡のこんなところにあった!
東京、横浜、大阪、福岡に「疎開道路」または「疎開通り」なるものがあるらしい。
私は疎開道路なんて全く知らないので、
ちょっと調べて記事にしました。
閲覧、本当にありがとうございます(#^.^#)
疎開道路って何?
アジア・太平洋戦争の終盤、
日本の各主要都市はB29にやりたい放題、爆撃されていた。
そこで、空襲を受けたときにできるだけ戦火が広がらないよう、
一部の建築物密集地域を疎開させて、道路を広くしていたそうです。
それが疎開道路。
木造建物が密集してるところに火の手がまわると、
とてもよく燃えるので、被害は拡大し、消火もままならないですもんね。
まぁなんというか、
そんな道路作ってる時点で、戦争に勝ち目無いような気がしませんか?
「疎開道路を作るぐらいなら、さっさと降伏すれば良かったのに」と思いますが、
当時の日本は簡単に譲れない事情があったのでしょう。
よくわからんけど。
本当は戦争なんか嫌だ~って思ってた国民って、どのくらいの割合でいたんだろう?
漫画「はだしのゲン」で読みましたが、
戦争に否定的(消極的?)なことを言うと、非国民扱いされていた時代。
現代で考えると超絶酷い世の中ですよね。
「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」
「欲しがりません勝つまでは」
「贅沢は敵だ、まず不服を言いますまい」
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「お前は日本人か、その姿で」
このように、戦争に消極的な人たちや生活に不満を漏らす者などに使用され、
様々な標語が唱えられたそうです。
日本が昔から本音で話し合える国で、
自由に反戦活動や抗議活動ができる国だったら、
どうなってたんだろう。
そういえば、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんから、
もっと戦争の頃の思い出話を聞いておけば良かったなぁ。
たまに戦争の話をしてた気もするけど、
全く私の記憶に残ってないんですよね。
メモしておけば良かった(*´Д`)
福岡の疎開道路はどこにある?
前置きが長くなりましたが、
福岡の疎開道路はどこにあったのか?
ご存知ない方の為に載せておきますね!(私も知りませんでした)
こちらです👇
地図のマークがあるところ、疎開道路は福岡市博多区上呉服町にあります。
下の画像は、大博通りから疎開道路へ続く道(右斜め方向、青信号の方向)です。
交差点には名称がないみたい。
普通に整備された道路で、
戦争の爪痕など何も残ってないような気がします。
確かに疎開道路は、この付近の裏道と比べると幅が広いですよね。
古い木造の建物はさすがにほとんど残ってなさそうですが、
安国山「聖福寺」(あんこくざん「しょうふくじ」)というお寺は残っているそうです。
日本最初の本格的な禅寺として有名らしい。
日本最初って凄いですよね!
ところで禅寺って何?
まっ、いいか(笑)
さすがにお寺の建造物は、建て直しや何度かリフォームもしてあるでしょう。
しかしながら、
昔からの名残や雰囲気は残っていて、
歴史的価値は言葉では言い表せないぐらい凄いのだと思います。
まとめ
疎開道路、疎開通りという名称は、日本の4都市にしか残っていない。
福岡の疎開道路は、福岡市博多区上呉服町にある。
疎開道路沿いに、日本最初の本格的な禅寺といわれる「聖福寺」がある。
戦争を経験したご高齢な方が身近にいたら、
ぜひ戦争の話を聞いてメモしておいたほうが良いと思いました。
令和時代はもちろんのこと、
この先もずっと平和な日本であり続けることを強く願います。